児童施設である弘済学園で仕事を始めて6年目。入園して間もない利用者さんが多い日中支援のクラスを担当することになりました。その中に半年ほど前に入園したばかりの、多動で元気いっぱい(過ぎるくらいの)10歳の可愛い女の子がいました。これは、私がその若いご両親から伺った「我が子の障がいにより、自分達の手で育てることができず、入所施設に預けた親の思い」についてのエピソードです。
このお話は、私にとってこの仕事を「目の前の利用者さんだけでなく、ご家族をもサポートしていく仕事にしていこう」と強く思い、ここまで支援を続けてきた原動力となっています。それは、こんなお話です。
担当クラスの教室で、私の前にお父さんとお母さんが座っています。お父さんが静かに話し始めます。「姉﨑さんね。私たちが初めて弘済学園に預けた(入所させて)日、自宅に帰る東名高速でね…。高速道路から弘済学園見えなくなるところがあるんですが、そこで突然家内が、「パパ、車、停めて!」と叫んで…。危ないのは重々承知だったんですが、路肩に車を止めて…。弘済学園の建物を見ながら二人で肩を抱いてウォンウォン声出して泣いたんです…。「我が子を育てられなくて…。自分たちで手放してしまって…。」「悲しくて、寂しくて、悔しくて…、そして心配で…。」「二人して、○○ちゃ~ん、ごめんね~、ごめんね~。」って。話しながら、お二人はまた涙を流します…。私も一緒に泣きました…。
そこからです。私が「絶対、ご家族をも支える支援、寄り添える仕事をしていこう」と、あらためて、強く、強く思ったのは…。それが、今から約40年前、28歳の時でした。
私は、ライフステージ・悠トピアのスタッフに、「私たちの一番の仕事は、悠トピアの利用者さんが安心して、穏やかな毎日を送ることを保証すること」、「それが我が子、兄弟姉妹と離れて生活しているご家族にとって大きな安心となり、悠トピアに入所していて良かったなぁと思ってくださる。そして私たちへの信頼感になっていくんだよ…」と繰り返し伝えているのですが、今お話した40年前のエピソードが、別のブログ「コロナ禍で浮き彫りになった悠トピアらしさ」においてお伝えした、「コロナ禍における、スタッフからの毎週の電話、私からの毎月のお手紙をお送りするという支援を、あたりまえに普通に行う」に繋がる、「原点」になっているということです。
Text by 施設長 姉﨑則雅
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